令和7年6月

生まれ、老い、死に、滅び、生起しょうきするもの
『ブッダ 悪魔との対話』第Ⅵ篇第一章第四節  

 釈尊が、梵天rt>ぼんてん(最高神)へ説いた一部です。「あなたは、永遠不変で、純粋絶対で、消滅変化しない境地に自分がいて、欲望を滅していると言う。しかし、その認識は誤りで、生まれ、老い 、死に、滅ひ、事象が起こる境地にある《趣意》」と。
 梵天は、自分が到達した境地に永くとどまることで、自分のことを物質や事象の原理であり、すべてを超越した永遠の存在であると認識してい ました。一方で、釈尊から見れば、その認識こそが固執という誤り。加えて、その境地にとどまるのみで、継続す べき行為も見失っている状態です。
 釈尊の知見は、すべての事象の連続変化「縁起えんぎ」に気づき、すべての原理をありのままに見る力を得た境地からのもの。あり方として、縁起の中における自己を適切に整え続けるため、適切な行為を継続すべきことを示しています。
 ーーー悟りを得た後でも、更に最期まで継続した釈尊や出家者の姿です。

(宗教教育センター実習指導講師 法澤 賢祐)

『法然上人の絵物語』第七巻
(画:別科修了生 菊田水月)

第六段 法然上人、ロ称念仏によって三昧発得
 法然上人は一心に念仏行を重ねられ、ついにロ称念仏による三昧を発得された。建久九年正月七日、恒例の別時念仏の最中、眼前に極楽の池水、瑠璃の大地などが見え、同年一一月には宝地、宝池、宝楼などが出現した。それから後は次々と極楽世界の様相が現れた。ある時は阿弥陀三尊が現れ、ある時は美しい鳥や琴笛などの音楽が響いた。詳しいことは法然上人自筆の『三味発得記』に書かれている。

菊田 水月

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