令和8年2月


『もし 遺恨を結ばば その仇世々に尽き難かるべし』
               『法然上人行状絵図」

「もしもおまえが恨みの心を抱いたならば、その恨みは代々続き終わることはないだろう」
 法然上人九歳のとき、父である漆間時国は敵対関係にあった明石定明から夜襲を受けます。時国はこの夜襲のときに受けた傷 によって、間もなくして亡くなりますが、その臨終の枕元で幼い法然上人に語っ た、いわば遺言ともいえるものがこのことばです。そして、この父の遺言にしたがって仇討ちを断念し、法然上人 は浄土宗を開きました。尋常ではない在り様であったからこそ語り継がれているといえるでしょう。
 さて、現在でもこの地球上では多くの地域で武力が用いられ、多くの人々が殺されています。ロシアとウクライナの戦争は終わりの兆しが見られませんし、イスラエルとガザの間では停戦合意が結ばれたはずなのに いまだ戦闘行為が続けられています。これらの戦争は、過去の遺恨にもよるのであり、また世々に尽きることない遺恨を生み続けていくでしよう。
 私たちも八〇有余年前に近隣諸国に与えた痛みを忘れてはならないのです。

(仏教学部准教授 市川 定敬)

『法然上人の絵物語』第九巻
(画:別科修了生 菊田水月)

第一段 法然上人、後白河法皇の如法経供養に先達を勤める
 後白河法皇は押小路御所で如法経供養(『法華経』を一定の法式によって書写供養するもの)を修した。この時、法然上人は法皇の命により、先達を勤めることとなった。文治四年八月一四日、前方便(前行)が始まる。御経衆には後白河法皇ご自身をはじめ、妙音院入堂相国〈藤原 師長公〉、法然上人とその門弟、延暦寺、園城寺の高僧たち十四人が召された。

菊田 水月

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