令和7年12月
『無から生まれて無に帰るだけ、
失うものなんてないさ』
イギリスのコメディ映画『ライフ・オブ・ブライアン』

失うものがない、ならば怖れる必要はない。どうどうと無に帰すればい 。運命に抗い、同時に受容するというわけだ。
ただし、帰するべき「無」は、すなわち「全体」である。「肉体が、人間の死後、原子にかえって地上にほとんど遍在するようになる」。そう大江健三郎が表現したように「全体」という基盤があるならば、じつに安心ではないか。私たちはそもそも体であるし、死に向かって歩み続ける宿命を負った運命共同体でもある。その事実は、目の前にある他者の苦しみが、私の苦しみでもあることを教えてくれる。
自他の命運を左右する決断を迫られるとき、「失うものはない」そう考えれば少しだけ優しくなれる。安心して前を向ける。諸行無常、実体のない「私」をそれでも懸命に生きながら、帰するべき「全体」を意識してみてはどうか「私」を手放してみたらどうか。手放したはずの「私」の幸福が、不条理にもそこにないだろうか。
(社会福祉学部教授 村上 武敏)
『法然上人の絵物語』第八巻
(画:別科修了生 菊田水月)
第七段 鏡の御影と勢至円通の文
法然上人の弟子である勝法房は、上人の肖像画を描き、それに銘文を書いていただくことをお願いした。上人はその絵をご覧になると、鏡二面を両手に持ち、水を張った器を前において、ご自分の頂の前後を見比べた。そして、その絵に胡粉を塗って訂正の筆を加え「これこそ似たれ」と仰って勝法房に与えられた。銘文は後日、紙に『首楞厳経』の〈勢至円通の文〉を書いて授けられた。勝法房はその文を肖像画に貼り付けて帰依し敬った。
菊田 水月

