令和8年3月


『呑気と見える人々も、
  心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。』
            夏目漱石『吾輩は猫である』

 夏目漱石の デビュー作『吾輩は猫である』は、中学校教師である珍野の家に集まる人々の言動を飼い猫の目線で描いた、皮肉とユーモアに満ちた作品である。この一文は作品末尾近くにあり、これまで騒いでいた人たちが帰宅した後の静まりかえった座敷で猫が漏らした感想である。
悩みがないほど呑気 に見える人でも、心の奥底に悲しみを抱えて生きている。
 隣の人は何を考えているのか。これは難問である。言葉 や表情、しぐさから推し量ることしかできない。そのため、間違うこともある。だからこそ、「実は悲しみのなかにいるのかもしれない」というような相手への思いやりの心をいつも持ちあわせておくことが大切なのであろう。自分が大変な状況のとき、「どうして私の気持ちをわかってくれないのか」と憤ったことはないだろうか。同じことは、他人もあるのである。
 一方で、自分の気持ちが自分でわからなくなることもある。時には、自分の心の底を叩いてみて、どのような音がするのか確認してみることも必要なのであろう。

(仏教学部准教授 三好 俊徳)

『法然上人の絵物語』第九巻
(画:別科修了生 菊田水月)

第二段 御料紙を迎える
 文治四年九月四日、如法経供養の料紙迎えの儀式が行われた。写経料紙は観性法橋が進上し、銅の筒に納められ、十一人の経衆によって三条白川房より御輿に入れて運ばれた。
 御所に到着すると、ます南の日隠しの下の台に御輿が据えられ、庭上で経衆たちが伽陀を唱えた。すると道場正面の障子が開かれ、待ち受けていた後白河法皇、法然上人らも、和するように伽陀を唱えられ、やがて厳かに料紙が道場に安置された。

菊田 水月

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