平成30年1月

わたし達は他者から生産的であると認められたときだけ生きる権利があるというのか
フォン・ガーレン司教の説教  

中国明末の書『菜根譚』第七〇条(今井宇三郎訳注、岩波文庫、 一九七五、参照)には、「幸福」と「災禍」に対する心構えが 書かれている。ここには「幸福」は自分から求めて得られるものではなく、楽しい気持ちを育むことで、招き寄せるしかないと述 べられる。同じく「災禍」は自分では避けて通ることはできないので、殺気立つ心を取り除くことで、災禍を遠ざけるようにすべ きという。 今井氏の注釈にも述べられるが、『淮南子』(『淮南鴻列集解』下、 中華書局、一九八九)巻十八「人間訓」に「夫禍之来也,人自生之 ;福之来也,人自成之。禍與福同門,利與害為隣,非神聖人,莫 之能分。」とあり、禍も福も人間自らが招くもので、両者は分けられるものではないとする。 つまり禍も福も表裏一体であり、どちらを引き寄せるのも人間の心持によるというのだ。「幸福」は求めるものではなく、心楽しくあれば「幸福」な状態に自然となるのである。

(社会福祉学部教授 芳野 俊郎)

仏教東漸 No.22
峨眉山
峨眉山(がびさん)は中国・四川省にある霊山。標高は3、098メートルで、多くの人々は3、077mの金頂にある華蔵寺の参拝を目指します。普賢菩薩の聖地として、五台山、普陀山、九華山と並んで、中国仏教の聖地とされ、山内に26ヶ寺の寺院が存在します。後漢時代から仏教施設の建設が始まり、南宋時代に最盛期を迎えました。写真は金頂にある華蔵寺の十方普賢像(高さ48m)。

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