令和2年6月

六道を廻るに人身を得る事は
梵天より糸を下して大海の底なる針の穴を通さんがごとし


法然上人 『十二箇条の問答』 

 これは、 地獄 ・ 餓鬼 ・ 畜生 ・ 修羅 ・ 人 ・ 天の六道を生まれかわり死に変わりする中で、 人として生まれることが稀少であることを説き示す言葉です。 どれほど稀なのでしょうか。 「梵天より糸を下ろして」とありますが、梵天がどこにあるのかということです。 仏教では我々人間が住む世界の中心に須弥山があると考えます。 この須弥山の高さは海抜五十六万キロメートルあります (一由旬を七キロで計算) 。梵天はさらにその上にあり、一番低いところで海抜千七百九十二万キロ、一番高いところだと海抜七千百六十八万キロになります。次に「海の底」ですが、我々の知る最深の海はマリアナ海溝でおよそ十一キロほどですが、仏教が考える海の深さは須弥山と同じ五十六万キロです。したがって、我々が人間として生まれることは、小さく見積もっても千八百四十八万キロの高さから糸を垂らして、下の針の穴を通すほど難しいということになります。この間には風も吹けば、海流もあるでしょう。ちなみに月と地球の間の距離が三十八万四千四百キロです。
(定方晟『須弥山と極楽』 〈講談社現代新書〉参照)
(仏教学部准教授 市川定敬)

「雨もまたよし」 
(画:別科修了生 菊田水月)
「当雨珍妙華」『仏説無量寿経』 「四誓偈」 より
梅雨の季節、降り続く雨に鬱陶しさを感じます。しかし、雨は私達にとって恵。天気には良いも悪いもありません。
雨の日も晴れの日も、みんな「いい天気」のはずなので・・・すが、私の心はなかなかそう受け止める事ができないのです。
天人が妙なる華の雨を降らすような、 そんな美しい世界を想像してみよう。「雨もまたよし」となるように・・・。
菊田水月

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