令和2年7月

他人から伝え聞いたのではなくて みずから証する理法を見た

『スッタニパータ』ブッダのことば№934 

 「釈尊は人から聞いたのでは無く、自分自身で真実の姿である縁起の理法を見た」との内容です。釈尊の存在、その気づき、その悟りの絶対性が知られます。
悩みや苦しみからの解放を探し求め、やがて中道の態度に立ち、ついに世の中の根本原理に気づき、体得し、平安の境地に至った釈尊。その釈尊が見た周囲の姿は、すべて変わり続ける縁起の世界―だから、すべてのとらわれから離れるべき―語られたからこそ知られた真実の姿、境地、至るための矧見や実践、人々のあり方。また多様な教え、経典、仏教。教え。思想。気づき。手立てなどと言われる多様な釈尊のことば。それは、周囲との関係性の中で生きる我々が、共に正しく歩むための指針なのです。理想を設定して求め続ける取り組みは何処にでもありますが、では、我々自身の言動はどの方向へ、どのように構築してゆくべきか。―釈尊は目覚めて以後、確かな基準と目的の上で語り続けたのです。
(宗教教育センター実習指導講師法澤賢祐)

「雨ニモ負ケズ」 
(画:別科修了生 菊田水月)
「雨ニモ負ケズ風ニモ負ケズ雪ニモ夏ノ暑サニモ負ケナヌ」
『雨ニモマケズ』宮沢賢治より
『人は負けたくないと苦しみます。その苦しみを避けるには。どうしたらいいのでしょうか。
勝負のない世界に身を置けばいいんです。そのまま全てを受け取ればいいんです。
雨にもあらそわず、雨を受け取り、風にもあらそわず、風を受け取る。自然の摂理を受け取って、
自然の摂理に身を任す。
そういうものに私はなりたい。
菊田水月

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