令和2年9月

しかるを今遇い難くして遇う事を得たり
徒らに明かし暮らして止みなんこそ悲しけれ


法然上人「登山状」 

 法然上人のおことば「登山状」の一節です。法然上人は、この前段で、「出会うことは非常に難しいけれども、いま出会うことができた」と述べられています。その出会いの対象は「仏教」です。人間に生まれることと、仏教に出会うことの難しさを述べたうえで、いま人間として生まれ、仏教に出会えたことのよろこびを述べておられるのです。
人間に生まれることができたとしても、日本に仏教が伝来する以前に生まれていたならば、仏教には出会うことができません。その他の出会いも同様で、さまざまなタイミング、条件が整わないと、出会うことはできません。
しかし、せっかく出会っておきながら、その出会いを活かしていないこと、法然上人は、そのことこそが「悲しい」と後段で述べているのです。
当たり前の日常がどれほど貴重であるのか、実感する毎日です。一日一日、一瞬の出会いを大切にして過ごしていきたいものです。
(仏教学部教授 曽和義宏)

「御蔭様で」 
(画:別科修了生 菊田水月)
今、私はここに生きています。それは数えきれない沢山の縁によって支えられている姿です。その沢山の縁に且を向けてみれば、一人で生きているのではないと気付きます。私達はすべてが持ちつ持たれつ、お互いが依存しあっている存在です。
あなたがいるから、私がいる。私がいるから、あなたがいる。あなたも私も檸い命。お蔭様に生かされて、私も誰かのお蔭様。感謝の気持ちで毎日を過ごしたいものです。
菊田水月

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