令和5年3月
学べば則ち固ならず
孔子『論語』学而篇
「学べば則ち固ならず」は、中国古代の思想家・孔子の言行録 『論語』の中の言葉です。学問をすれば、考えが固定化して融通がきかなくなることを避けられるという のです。
孔子は紀元前六世紀から前五世紀の人で、山東省、当時の名前では、魯の国の生まれです。孔子は独学で勉学を重ね、 魯の国に仕えますが、内乱のために国を追われ、弟子とともに諸国を放浪します。旅の途中、何度も
命を落とすような危険にみまわれて、晩年に魯に帰り、儒教の典籍の整理と弟子の教育に専念します。
孔子は学問、なかでも礼をよく知っているこ とから世に出た人でした 。弟子たちにたいする教育は特に優れています。学ばないと、思い込みが強くなります。思い込みが強いと暴走します。孔子は多くの弟子と接する中でそのことを痛感したのでしょう。
他の人の考えを、学問を通じて知れば、自らの考えは柔軟になります 柔らかい思考は精神の自由につながります。
「学べば則ち固ならずは、『論語』の中でも、はっとさせられる条の一つです。
(文学部教授 鵜飼 光昌)
『法然上人の絵物語』第三巻
(画:別科修了生 菊田水月)
第四段 勢至丸、剃髪・登壇受戒
久安三年十一月八日、外は一面の銀世界でありました。この日の早朝、勢至丸は髪を剃り法衣を身に着けると、東塔にある戒壇院に登りました。そしてついに、大乗菩薩戒をお受けになり、まさしく出家者となられたのです。
菊田 水月