令和5年2月

欲情と贈悪とは、これ〈自身〉を原因として起こる

『ブッタ 悪魔との対話』第x篇第三節   

 性的な欲望と憎み嫌う感情の原因は、その対象にあるのでは無く自身にあるとの意です。このことばの後には、次のように続きます。「不央と央楽と、身の毛もよだっ恐怖とは、ここ〈自身〉から生ずる。(中略)それらは愛執〈あいしゅう〉から生じ、自己にねざして成立している」と。
 釈尊は、我々が「欲望」や「とらわれ」にまとわりつかれた不自由な状態にあり、この状態が周囲の見方や認識の仕方、感情を起こす原因になってい ると見ました。対象から抱く我々の感情は、すでに対象へ向けて不自由な状態にある見方に基づくと見たのです 。
 自身が持っ基準を原因として、心の動揺を続けている我々。では、どのように周囲を見て、どのように自身の欲望や感情と向き合えば良いのか この問いに応じた内容こそ、釈尊が説いた多様な教えです。
 自身の知見を整えるための実践や修養は、容易では無いことから「いまだかって渡ったことの無い激流を渡るようなもの」と例えられています。

(宗教教育センター実習指導講師 法澤 賢祐)

『法然上人の絵物語』第三巻
(画:別科修了生 菊田水月)

第三段 源光、勢至丸を皇円のもとへ送る
 勢至丸があまりにも優秀であったので、源光は勢至丸を碩学のもとで学ばせた方がよいと考えられました。そして久安三年四月八日、比叡山でも名高い学識者であった功徳院の肥後阿闍梨皇円のもとへ連れていきました。皇円は、「昨夜、私の部屋の中に満月が入る夢を見た。これはこのような聡明な少年に出会う前ぶれであったに違いない。」とおっしやり、勢至丸の入門を大いにお悦びになりました。

菊田 水月

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