令和5年6月

君子くんしとうせず

『孔子『論語』述而じゅつじ篇』   

 「君子くんしとうせず」とは、君子は、同じ朋党に属しているからといって、無条件 にその人のことばや行動に賛成することはない ーということをいう。東アジアでもっとも読まれた古典の一つで ある『論語』述而じゅつじ篇に見えることばである。
 同じことばが、のちの衛霊公えいれいこう篇にも見える。「君子はきょうなれども争わず、群して党せず」ー君子は誇りをもった態度をとることはあっ ても人と争うことはなく、多くの人々とともに過ごすことはあっても党派をつくることはない、と。
 また 『論語』子路しろ篇のつぎのことばも同じ方向である。「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」。君子は多くの人となごやかに過ごすけれども付和雷同せず、小人は簡単にそうだそうだと言うけれども、振り向くと今までほめていた人の悪口をいう。
 党派というものは同じ利益を追求する集団であることが多い。「君子は党せずとは、利から離れて、水がさらさらと流れるように、人と交わることの大切さを説くのであろう。

(文学部教授 鵜飼 光昌)

『法然上人の絵物語』第四巻
(画:別科修了生 菊田水月)

第一段 西塔黒谷での隠遁生活
 慈眼房叡空のもとで本格的な仏道生活が始まりました。法然上人は救いの道を求めて一切経を何度も読み、疑問が生じれば叡空に問い、議論となることもしばしばありました。ある時、戒体について両者は激しく論争、叡空は腹を立てて木枕で法然上人をたたいてしまいます。しかし、叡空はしばらく考えたのちに法然上人のもとへ出向き、自説の非を認めて謝りました。仏法を求める際は、私情を一切はさまな いことは感心であります。そのようなわけで、 上人を模範として、師である叡空がかえって弟子とな られました。

菊田 水月

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