令和6年6月
仏も昔は人なりき
『梁塵秘抄』
平安時代末期に成立した『梁塵秘抄』は、後白河法皇が好んだ「今様ーと呼ばれる芸能の詞章を集成したものです。漢詩や和歌とはちがった、くだけた雰囲気の歌謡で、内容もおかしみのあるものが多いです。
ただ、「仏も昔は人であった」と言われても、なかなか素直には聞けません。お釈迦さまも「人」であった頃はお悩みになったということですが、それでも「お釈迦様だから」と思ってしまいます。「われらも終には仏なり」と続きますが、そうした自信がないものにとっては、とまどうばかりです。しかし、「せっかく私たちにも仏になる性質が備わっているのに・・・と謡ったあと、「・・・そのことに気がっかないのは残念だ」と結んでいるのが面白いところです。「努力をしなさい」と言われるのかと思ったら、「気がついてさえいない」と言われる意外さに、納得してしまいます。多くの人はさまざまなことに気づいていない、ということでしょうか気づくことから始めたいと思います。
(文学部准教授 浜畑 圭吾)
『法然上人の絵物語』第六巻
(画:別科修了生 菊田水月)
第一段 法然上人、一向念佛に帰す
法然上人は救いの道を求め、一切経を五回も読まれた。恵心僧都源信の『往生要集』は専ら善導大師の釈義をもって指南としている。そこで、善導の釈義を辿って遂に「一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼佛願故」という文に出会った。末世の凡夫は弥陀の名号を称えれば、この佛の本願に乗じて確かに往生できるのだと確信された 。そこで、たちどころに諸行を捨てて一筋に念仏の教えに帰依されたのである。時に承安五年、法然上人四十三歳の春であった。
菊田 水月