令和6年5月
千里の行も 足下より始まる
『老子』
老子は中国古代の思想家、無を貴ぶことで知られている。その思想は荘子と合わせて、老荘思想と呼ばれる。儒家は仁を説き、名誉を重んじ、立身出世をかならすしも排さないのとは違い、老子は道を説き、無為を重んじ、極力、地位権力から遠ざかろうとする。
中国は広大な国である。今でこそ高速鉄道が完備されたけれども、以前は北京から山西省の五台山に行こうとするとかならず列車で車中一泊、つぎに長いバスの旅で高い山を越えて行かねばならなかった。
老子とよく併称される荘子も、当時の旅について、このようにい う。近郊の野に行く場合には三度の食事を用意するだけでよいが、百里の旅となると前日から用意しなければならず、千里の旅ならば、三カ月も前から準備しておくことが必要になると。しかしその「千里の行も、足下より始まるーー千里の道も、足元の一歩から始まる。大事なのは高い志とそれに向かう最初の一歩。その一歩を踏みだし、たゆまぬ努力を続けてこそ、はるかな目標に到達することができる。
(文学部教授 鵜飼 光昌)
『法然上人の絵物語』第五巻
(画:別科修了生 菊田水月)
第五段 宝地房証真、法然上人の知徳をほめる
ある時、法然上人は九条兼実邸で山僧と出会い、浄土宗を立てた拠り所となる経文について質問された。法然上人は「善導の『観経疏』の付属文である」と答えられた。すると山僧は、ただの一文で宗を立てられるものかと重ねて尋ねた。上人はただ微笑むだけで何も言われなかった。山に戻った山僧は、その旨を証真に告げると、証真は「何も言われなかったのは、一言うに足らないからである。法然上人は諸宗あまねく修学して知恵深遠なること常の人を超えているのだ」とおっしゃった。
菊田 水月