令和6年4月
初心の人 ニつの矢を持っことなかれ
兼好法師『徒然草』
『徒然草』は鎌倉時代後期に生きた兼好法師の著作である。その全一 四四段に、兼好が見聞きしたり体験したり、あるいはそれらを踏まえて考えたりしたことが記されている。教科書などに取りあげられることも多いので、現代でもよく知られている段はいくつかあるが、第九十二段もその一つであろう。ある人が、弓を習うときに、二本の矢を持って的に向かった。それに対して、師匠が言ったのが、今回のことばで、「初心者は二本の矢を持ってはならない」という意 味である。その理由として、師匠は「二本持つと、一本目を射るときにいい加減な気持ちが出てしまうから」と説明する。すなわち、次があるという油断を戒めているのであり、いま目の前にあるものがすべてだと思い、一つ一つ集中して行うことが大成への道だということである。
本文中では、この逸話に対する兼好法師の感想として「この教えはすべてに通じるはずである」と記される。これは、現代にも一言えることであろう。「初心の人だけでなく、皆が心に掛けておきたいことばである。
(仏教学部准教授 三好 俊徳)
『法然上人の絵物語』第五巻
(画:別科修了生 菊田水月)
第六段 法然上人、竹林房の静厳法印の弟子に天台宗の奥義を授ける
法然上人が老齢となったある日、竹林房の静厳法印の弟子が訪ねてきて、天台宗の法門について尋ねられた。法然上人は、近頃は念仏ばかりで聖教を見ていないとおっしやったが、天台の深奥をその人に説き聴かせた。その頃、山門延暦寺には碩学が大勢いた。それなのに、その碩学たちを差し置いて隠遁の法然上人に尋ねに来たことは、法然上人がいかに天台宗の大事に通じておられたかをよく示している。
菊田 水月