令和6年7月
己れこそ 己れのよるべ 己れを措きて 誰によるべぞ
『ダンマパダ』№160

『ダンマパダ』は釈尊が説いた様々なお経の中から、ダンマ(教え・法)に関するパダ(句)をテーマごとに集めた経典アンソロジーである。本経は『法句経』の名称で漢訳され、中国や日本の僧侶たちに古くから親しまれてきた。今月の言葉は、そのような『ダンマパダ』の第十二章「自己」という章の 一句である。
我々は両親や友人や恋人、多くの他者を頼りにし、彼らを「よるべ」 として生きている。彼らは私が困った時に手を差し伸べ、私を困難から救い出してくれる。しかし、この世は無常で ある。彼らもいっか必ず私の前から消え去り、その時、私の「よるべ」は無くなっ てしまう。だが、自分だけは、絶対に自分の前から消え去ってしまうことは無い。だからこそ、多くの経験を積み、自分を頼れる存在に鍛え上げ、自分を「よるべ とする必要がある。
長い人生、転んでしまうこともある。その時、頼りになるのは、手を差し伸べてくれるかもしれない他者の存在ではない。一人で立ち上がることのできる力である。人生の中で、自分よりも頼りとなる「よるべは存在しない。自分を救うことができるのは自分だけだ。
(仏教学部講師 田中 裕成)
『法然上人の絵物語』第六巻
(画:別科修了生 菊田水月)
第二段 法然上人、慈眼房叡空と念仏について論争
ある時、法然上人は慈眼房叡空上人のもとを訪れ、往生のためには称名よりすぐれたものはないと主張した。しかし、叡空上人は、観佛がすぐれていると主張した。二人の論争は激しくなり、叡空上人は腹を立ててしまう。そこで、法然上人は、善導和尚も『観経疏』で称名が第一と説いておられる。聖教をよく読まれることだ、と叡空上人に申された。
菊田 水月