令和7年5月

満目青山まんもくせいざんは心にあリ

能『弱法師』  

 能に〈弱法師よろぼし〉という名曲があります。
 河内国に住む通俊みちとしは人の言葉を信じて、息子 である俊徳丸を追放しました。後にそれが讒言ざんげんであったと知って後悔し、息子のために天王寺で施行せぎょう(僧や貧しい暮らしをする人々に施しをすること)をします。するとそこへあらわれたのは、悲嘆の余り盲目の僧となり果てた俊徳丸でした。通俊は日想観にっそうかん(日没を見て、極楽をイメージすること)を勧めつつ、話しかけます。俊徳丸が見えない目を西に向けたとき、見慣れた難波の海ばかりか、見たことがない紀州の沖の景色まで、すなわち満目青山が心に広がりました。俊徳丸は、
「おお、わたしは見ている、たしかに見ている」
と叫びます。舞台では俊徳丸が顔をあげながら、右手に持った扇を、胸から右上に跳ね上げて喜びを表現する、見せ場です。
 俊徳丸は突然目が見えるようになったわけではなく、ものは心で見るものだと達観したわけです。「見る」というと私たちはつい視覚だけを思いがちですが、心は目では見えないものも見せてくれます。大切にしたいものです。

(文学部准教授 浜畑 圭吾)

『法然上人の絵物語』第七巻
(画:別科修了生 菊田水月)

第五段  二祖対面
 ある時、法然上人は夢を見た。大きな山がそびえ、山の麓には青く澄んだ広い河が北から南へと流れていた。上人が山腹に登ってはるか西方を眺めると、紫雲がたなびき無量の光が差した。その雲の一群から色とりどりの美しい鳥たちが光輝きながら飛び出してきた。鳥たちが雲に帰ると、今度は一人の半金色の僧が現れた。「私こ そが善導である、あなたが専修念仏を広めていることが尊いのでやってきた」とおっしゃるのを見て上人は夢から覚めた。

菊田 水月

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