令和4年12月

いづくにもにもあれ しばし旅立ちたるこそ
目さむる心地すれ


兼好法師『徒然草』   

鎌倉時代末期に兼好法師が記した『徒然草』 の第十五段冒頭の一文 で、「どこであれ、しばらく旅をするのは、目が覚めるような新鮮な気持ちがする」という意味である。 この文章に続けて、旅先では見慣れぬものヘ好奇心がわくこと、旅先だからこそ何事にも気を配るようになること、その結果、良いものや優れた人はより際だって見えることなど 、旅の効果が記される。
 日常を離れると いう旅の意義は、七〇〇年近くの時を超えて、現代社会においても共通のものであろう。むしろ、未だ終息がみえないコロナ禍で、一時は帰省さえ自粛が求められていた我々にとっては、忘れかけているものかもしれない。
 しかし、旅の意義をそのようにとらえたとき、電車に乗って出かけることだけが旅ではないと気づく。たとえば、本や絵画、写真、音楽、映画、ゲーム。これらは、私たちを世界中のあらゆる場所へ連れて行ってくれる。それだけでなく、過去や未来、あるいはまったく未知の異世界へも誘ってくれる。どのような状況であっても、それを求める気持ちさえあれば、私たちはいつでも、どこまでも遠くへ行って、「目さむる心地」を経験することができるのである。

(仏教学部准教授 三好 俊徳)

『法然上人の絵物語』第二巻
(画:別科修了生 菊田水月)

第四段 勢至丸、都で法性寺摂政に会う
久安三年の春二月十三日、都にたどり着いた勢至丸は、鳥羽のつくり道で摂政藤原忠通公(九条兼実公の父)の行列に出会います。忠通公は牛車を止めて勢至丸に「どこから来たのか」とお尋ねになりました。忠通公は勢至丸が普通の子供ではないことに気付かれて、この少年に対して丁寧に会釈をして去っていきました。その様子を見ていたお供の人々はとても驚きました。

菊田 水月

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