令和4年9月

明日も有とおもふ心にはかられて
今日も空しく暮らしつる哉


俊憲『新勅撰和歌集』   

 「本当は確かなものではない明日という日を、つい確かなものだと勘違いし、これは明日にしようなどと先延ばしにして、今日という日を何となく過ごしてしまう。」このような思いは、平安時代から現在まで変わらないのでしよう。
 寝ると明朝目覚めるというのは、決してあたり前のことではありません。
 法然上人が説いたお念仏は、一回でも心から南無阿弥陀仏と唱えれば臨終の際に阿弥陀さまは迎えに来てくださるという有難い教えです。「だったら何も今から唱える必要はない。臨終の間際に」と、考えがちです。自分の誕生日は知っていても、命日は分かりません。あたり前のように享受していた平和も、いとも簡単に消え去ってしまいます。できることは、できる時にやらなければなりません。最後に帳尻を合わせようと思っても難しいのです。
 このことは、お念仏に限らずすべてのことに通じます。今できることは、今する。簡単で難しいことですが、この気持ちを大切に毎日の生活を振り返り、有意義な学生生活を送っていただきたいと思います。

(教育学部教授 佐藤和順)

『法然上人の絵物語』第二巻
(画:別科修了生 菊田水月)

第一段 定明の逐電と念仏往生
 額に傷を負った定明は復讐を恐れて、行方をくらましました。自分の犯した罪を悔いて来世に受けるその罪の報いを嘆きました。心静かに念仏を怠らすに称え、定明は往生の望みを遂げました。
 後に、定明の子孫は法然上人のみ教えに帰依したと言われております。

菊田水月

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