令和7年2月

一心専念弥陀名号いっしんせんねんみだぎょうごう

善導大師『観経疏かんぎょうしょ』  

 
 若き日の法然上人は、仏道実践に悩み経蔵きょうぞうに籠もる日々を送っていました。
 そんなある日のこと、出会ったのがこの「ただひたすらに阿弥陀仏の仏名を称える」という中国浄土教の大成者である善導大師の言葉でした。
その続きの「となえる場所も時間にもとらわれることなく継続する、これを正定しょうじょうごうと名づけるのである。なぜなら阿弥陀仏が誓われた本願だからである。」という文章も含めて「 一心専念のもん」(開宗の文)と呼ばれています。すべてのものを救おうとする阿弥陀仏によって提供された念仏を実践するべきだという意味になります。
 既存の仏教が説く高度な修行では、限られた宗教的エリートしか救わ れません。ところが老いも若きも「ただひたむきに阿弥陀仏にお頼みする」ことで、阿弥陀仏の前ではみな平等であるというこの思想の革新性に法然上人は衝撃を受け、浄土宗を開宗することになります。日本仏教におけるパラダイムシフトがここに起こったのです。

(仏教学部講師 加藤 弘孝)

『法然上人の絵物語』第七巻
(画:別科修了生 菊田水月)

第一段 法然上人、法華三味の時、普賢菩薩現る
 法然上人は、諸宗の教えに明らかなばかりでなく、多くの修行によっても証果を得ていた。かって法然上人が比叡山黒谷で法華三味を行じていた時、普賢菩薩が白象に乗って姿を現した。またある時、叡空上人や西仙房と共に法華三昧を行っていた時には、山王権現が道場に姿を現し、願いを聞き入れる形を示されたという。

菊田 水月

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